………た、ぽた、と…僕の足元に紅い雫が滴っている。 僕の右手は仄かなあたたかさに包まれている。 人の肌よりも熱く、しかし徐々に冷え、失われていく温もり。 脈のように吐く吐息。 海の底のように重い空気は、汐のような芳香を。 否…これは、赤く錆付いた鉄だ。 僕の左手に支えられた彼女の首は、かっくりと折れ曲がっている。 ねっとりと右手に絡み付く血液。 僕はその手を握り締め、天を仰いだ。 天宙には、紅く翳む月が、死神の鎌の様に、架けられていた。 目を開く。 見慣れたレイの内装。 誰も見る者のないテレビが無意味に点けられ、数名の妖怪が談笑している。 僕は、その内の一人…小妖精リサに言葉を掛けた。 「……どのくらい…眠っていましたか？」 リサは、僕の声に僅かに顔を傾げ、答えた。 「うーん…２０分くらいじゃない？」 「…そうですか…」 窓の外に覗く景色は、数枚の蒼いヴェールを掛けたかのよう。 沈み行く太陽の投げかける黄昏の槍が僅かに雲を照らしている……日暮れ。 「そろそろ、出勤ですね」 僕はそう言って、席を立った。 どうやらソファに座ったまま、眠りに付いていたようだ。 　……ニュースをお伝えします…… 点けられたままのテレビ。 その吐き出す音が、途切れ途切れに耳に拾われる。 　……昨日未明**************で女性の屍体が*********…… ぴくり、と立ち止まる。 怪訝そうに僕を見る、レイの妖怪たち。 　……被害者は************鋭利な刃物様の物で胸部を５箇所刺され…… 「……物騒ですね。皆さんも、お気をつけて」 僕は、そう言って、レイを出た。 振り返る事は、しなかった。 いつもの仕事場。アルコールとシガーの匂いに迎えられ、僕はホストクラブへ入っていく。 いつものように接客をこなす。 特に、印象には残らない。 それがいつもとは違う、非日常へと引き込まれたのは、客の言い放った一言だった。 「あれ？　遊馬君、いつからカラコンなんて付けたの？」 「……え？」 一瞬、凍りつく。 「紅いカラーコンタクト付けてない？」 客は、こちらが聞き取れなかったと思ったのか、律儀に言い直してきた。 僕は周囲を見回す。 僕の様子がおかしい事を見取ってか、同僚…店長までもが、僕を振り返る。 …僕は、店内にさりげなく置かれた鏡を見た。 僕の髪は黒い。 僕の瞳も…同じく黒かった。 …どうやって誤魔化したのか、覚えて居ない。 僕の変化の術が、効かないのだろうか。 馬鹿な。彼女は初の客ではない。 名前を思い出した…上月 美弥子。 常連という程でもなければ、足が遠いという訳でもない。 言うなれば「普通の」客だ。 僕は気付いたときには、彼女を店外に連れ出していた。 …僕は、彼女をどうするつもりなのだろうか。 いつの間にか暗い裏路地に僕たちは入り込んでいた。 彼女が前を歩き、僕はその一歩後を追う。 今、ここで…彼女には眠ってもらおうか。 少し怖い夢を見てもらい、そして彼女の家で目覚めさせれば良い。 普段なら決して考えないであろう、そんな事を考えるまでに僕は混乱していたのだろうか。 「…ねぇ」 彼女が足を止め、口を開いた。 「…まだ、気付かない？」 「…何の事、ですか…」 心臓が高鳴る。 誘眠の妖術を用意し、じっと彼女の続く言葉を待つ。 彼女は振り返った。 「私に、貴方が見えるんじゃない。 　　　　……貴方にしか、私が見えていない、という事」 　……被害者は上月 美弥子さん、２２歳。鋭利な刃物様の物で胸部を５箇所刺され…… ふと、足元を見る。 そこには人型に白く縁取りされた地面。 そして、赤黒い染みがあった。 「……いつからいつまでが夢で、いつからいつまでが現実なのですか……」 僕は問う。 美弥子の姿はとうに消えていた。 僕は、何もない板張りの舞台の上に居た。 観客席を振り返る。 そこに座る一人の男は、道化の仮面を付けていた。 「全てが夢で、全てが現実ですよ……元来、そんな区分など、我々にとっては意味のないものでしょう」 僕は、跳躍した。 一瞬で人間への変化を解き、左の腕で男の首を捉える。 そして右の抜き手で、男の胸を一気に貫く。 肉を絶ち、骨を砕く感触。 心臓に２本の指が届き切る手ごたえに、僕は右手を引き抜いた。 ………た、ぽた、と…僕の足元に紅い雫が滴っている。 僕の右手は仄かなあたたかさに包まれている。 人の肌よりも熱く、しかし徐々に冷え、失われていく温もり。 脈のように吐く吐息。 海の底のように重い空気は、汐のような芳香を。 否…これは、赤く錆付いた鉄だ。 僕の左手に支えられた「彼女」の首は、かっくりと折れ曲がっている。 ねっとりと右手に絡み付く血液。 僕はその手を握り締め、天を仰いだ。 天宙には、紅く翳む月が、死神の鎌の様に、架けられていた。 目を開く。 見慣れたレイの内装。 誰も見る者のないテレビが無意味に点けられ、数名の妖怪が談笑している。 僕は、その内の一人…小妖精リサに言葉を掛けた。 「……どのくらい…眠っていましたか？」 リサは、僕の声に僅かに顔を傾げ、答えた。 「うーん…２０分くらいじゃない？」 「…そうですか…」 窓の外に覗く景色は、数枚の蒼いヴェールを掛けたかのよう。 沈み行く太陽の投げかける黄昏の槍が僅かに雲を照らしている……日暮れ。 「………夢魔が悪夢を見せられるなど……洒落にもなりませんね……」 　……ニュースをお伝えします…… 点けっぱなしのテレビが、続く言葉を吐き出す前に、僕は…その電源を切った。